手作り味噌ミニ講座

アドラー子育てを学んでいるくすのきの会の仲間と、今回は趣向を変えて手作り味噌を学ぶ会を開催した。
ことの始まりは、味噌って作るととても簡単なんだよ、というおしゃべりから。じゃあ、私毎年作っているからやっちゃう?と今回の企画へ。

味噌は15年くらい前、初めは生協のカタログにあった手作り味噌3キロセットから始めて、翌年もう1セット買い足して、それでも足りなくなって、ついには7キロくらいは仕込める本樽を購入するまでになった。

手前味噌を作るようになって、せっかくだから材料もいいものを使いたいよね、と思って色々調べ出したら、食の後ろにある様々な事情が見えてくるようになった。それでナチュラルフードインストラクターの講座に通ったのだ。
学びの中で私自身がびっくりしたこと、これは知らないといけないな、と感じたことを少しでもお伝えできたらいいなと考えて、ただ作り方だけではなくて、使い材料の背景についても加えてテキストを作ってみた。

 

食から見えてくること


味噌は日本人にとってとても身近な材料で作られた調味料だ。
大豆、塩、麹(米)それだけ。

大豆は、実にその消費量の95%に迫る勢いで輸入に頼っている。大豆の自給率はたったの5〜6%。あれ。おかしいじゃない。スーパーにある豆腐、国産って書いてあるのがたくさんあるよ。そう。おかしいのだ。
現在の政府による規定では、小麦や大豆は国産の原料が50%以上使用されていれば「国産」と明記することができることになっている。51%国産大豆で49%が輸入大豆でも「国産大豆使用」と書けてしまうから、こういう不思議なことが起きてしまう。

塩は、1905年に塩の専売法という法律が制定されて、それが1997年まで続いていて、ずっと国が製造供給を管理していた。今は実にいろいろな塩を手に入れることができるけれども、本当にここ最近のことなのだ。塩の専売法、元々は日露戦争で軍事資金が不足した政府が、最も効率的に資金を集めるために制定したもの。なんということ!
それまでは日本各地でバラエティ豊かな塩が作られていたが、国が一元管理したことにより、そのほとんどが姿を消すことになる。(現在は少しずつ復活している)

食べ物について、少し調べてみると、様々なことが見えてくる。
私たちの食は、思いもかけないところからコントロールされているのかもしれないと思う。
ナチュラルフード、オーガニック。
そういうものに興味があるのならば、もうひとつ先に視野を広げて「ナチュラル」「オーガニック」とはなんなのか、私たちは知る必要があると思う。

 

そんなきっかけになったらいいな、と思いつつ、製法や産地違いの塩比べをしてみんなで楽しくテイスティング。

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人に教えるということ

木曜日に控えた手作り味噌講座に備えて、味噌作りに関するテキストをしばらく前から作成している。

味噌作りは、自宅用にはもう15年は毎年続けていて自分的には結構手慣れた作業なのだけれども、その分、勘や感覚でなんとなく調整していることも多くて、改めてこれを言語化しようとすると、とても難しい。

自分の手順を何度も頭の中でリプレイして、ひとつひとつ順番に文字に起こして行く。
途中、はて、とわからなくなって、実際の道具を見にいったり、実際の重さを測ってみたり、計算してみたりして、いちいち作業が止まるので、やたらと時間がかかる。
そんなこんなして、遅々と進まず、直前まであたふたしております。

けれども、人に教えよう(シェアしよう)と思った時に、なんで自分は味噌を手作りしてみようと思ったのかな、とか、買う方が簡単なのに手間をかけるのはなんで?とかそもそもの自分の思いを振り返ることにもなって、忘れかけていた自分の立ち位置にグラウンディングできたような気持ちになった。それから、やはり誰かに伝えようと思ったら、いい加減なことは言えないので、ひとつひとつ、話の出典を確かめながらテキストに書いたり、ナチュラルフードインストラクター講座の時のノートをめくったり、今回のことをきっかけに、新たに自分の曖昧にしていたことも再学習できた。

インプットばかりしていないで、アウトプットすることが自分の学びもステップアップさせることにつながるんだな、と改めて実感中・・・。

そして、こんな作業をしていたら、「あーやっぱり食べ物周辺の話は勉強すればするほど面白いなあ」とまた興味が再燃してきたりして、近々、インストラクターの講座でお世話になった先生の元へまた教わりに行こう、と思ったのでした。

 

言葉を正しく使う

京橋パセージプラスの4回目。

パセージプラスでは、エピソードを使って前に出て分析する過程をひとりひとり実際に演習する。

今日はひとつ私がやらせていただいた。

手順は決して複雑なものではなく、テキストに全て書いてあるので、難しいと感じるものではない。

のだけど。

前に出て、実際にやってみると、本当にうろ覚え。しかも、いつのまにか勝手に自分の言葉に解釈していたりする。

都度、「テキストを見てね」「テキストにはなんて書いてある?」とリーダーさんがアテンションしてくれる。

今日、改めて学んだことは、

『これまでの経験や知識はとりあえず脇に置いて、型通り素直にやる』

ということ。

これまでの経験則にいちいち照らし合わせていると、テキストの言葉をぼんやりと解釈してしまう。書かれている通り、そのままに理解する。

自分がどの理論に立脚しているかをカチッと決めておかないと、あっという間に明後日の方へ引きずられてしまう。

知らぬ間に、自論オバさん(笑)

これ、なんだかどこかで覚えがあるなぁ…と考えたら、社会人大学生の時にも感じたことだった。

社会人は、人生経験が下手にあるだけに、その経験に基づいて物事を見る。せっかく新たな知識を学びに来ているのに、「〜の経験では」とか「〜ではこうだ」みたいな自論展開をして、そのまま素直に受け取ることができない、という場面を少なからず目にした。

学生になりきれない学生である。

そう。

せっかく学びに来ているのだから、すっかり空っぽになって素直に学ばねば。

もし、学ぶには適齢がある、ということが事実だとしたら、その理由はそんなところにあるのかもしれない。

くたくた

インフルエンザがスゴイ。

仕事が終わると、自分自身がインフルエンザウイルスになっちゃってるんじゃないかと心配になるくらい、インフルエンザ患者が受診するので、感染予防に細心の注意をはらう。

午後からは、銀杏の会で、アドラーギルドの「基礎講座応用編」を受講したメンバーによるシェア会に参加したのだけど、そんなわけで仕事が終わらず、大遅刻での参加になってしまい、残念。

シェア会は大勢の受講者がいるときには質問できなかったことや、改めて振り返って気づくことなど肩の力を抜いて話し合うことができ、勉強になる。シェアする方にもなったことがあるが、これもまた、人に伝えようとするとさらに勉強になるのだよね。

そのままカウンセリング分科会にオブザーバーとして参加。

娘ちゃんの「お弁当箱洗わない問題」を事例として扱ってもらった。

すでに育児の年齢を超えている娘ちゃんとの関わりは、学童期の子どもとはもうひと段階違う頭を使わなければならないように感じる。「子どもの協力をかちとる」にもあるように、親がよく技術を学ぶ必要があると思う。

しかし、どうあれ、ひたすらにお互いが協力をして課題を乗り越えて行くことには変わりない。

まだよく自分の中で噛み砕けていないし、今日はもう頭が働きそうにないので、また後日。

思春期を勇気づける

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午後、「子どもの協力をかちとる」の輪読会へ。

吉祥寺くすのきの会でも少しずつ進めているけれども、銀杏の会ではだいぶ進んでいて、今日はちょうどティーンエイジャーのところに入っていた。

子どもと言うのももうふさわしくなく、かといって大人とも言えない思春期の子どもとの関係はどこの親も頭を悩ませるところである。
アドラー心理学では「育児は15歳まで」と言われている。
その基準に照らし合わせると、我が家の子どもたちはもう「育児」をする年齢はとうに過ぎていて、もう十分に他者と協力的な関係を築き、自分の人生を自分で切り開く力を持っている(はず)。

もう、子ども扱いされることも、親の意見に従うことも、なんでも手を貸すことも、望んでいないことなのだ。

けれども、親は心配やら不安やらを使ってあれこれ介入をして、結局のところ、子どもから自発性や自信を奪い取ってしまう。
大変に耳の痛い話である。

 

親が彼らに対する不信感を信頼に変えること。
あれこれ言わなくても、彼らにはもう全て自分自身でできる力があること。
問題が起こった時は、争ったりせず、解決に向けてお互いで協力するために話し合いをすること。

どれもこれも、パセージで少しずつ、練習し積み重ねたことが、大人へ向かおうとする思春期の子どもたちへの援助に繋がっていくのだとつくづく思った。

今日のメンバーは全員すでに「育児は終了」の年齢の子どもを持っている人ばかりで、「もっと小さい頃にアドラー育児を知って入ればねぇ・・・」としみじみとため息をついてしまったのであった。

いやいや。遅いことはない。今日からまた歩み出せばよい。
アドラー先生だって、「性格は死ぬ1~2日前でも変えられる。決心さえすれば。」とおっしゃっているではないか。
これからの子どもたちとの関係をより協力的なものへとするべく、前進あるのみ、である。

 

【今日の論文】

(再読)
「乳幼児版養育スキル尺度の作成〜乳幼児版ペアレントトレーニングに向けて 1〜」
立元・武井・上富(2017)

パセージプラス初回からの教える技術2回目

先輩リーダーさんおふたりをお招きして、吉祥寺くすのきの会で毎月アドラー育児の勉強を続けている仲間と、パセージプラスを開催。初回のパセージ開催から丸一年以上このメンバーでコツコツ続けてこれたのだなぁ。

私には、「しっかりするべし」とか「カンペキにやるべし」とかいう私的感覚があるようで、やもすると丸抱えにしがちなのだけれど、この仲間がいるからこそ、ずっと続けてこられたし、また私も勉強しなくちゃと思えるし、本当に有難いことだ。

一旦、帰り夕飯の支度をしてから、教える技術の2回目へ。

今日のお題は認知技能をどのように教えるか。
昨年の講座でもやったのだが、モンティホール問題を全員で取り組む。
これが、説明されて理屈はわかるのですが、どうしても感情的に納得できないのだ(笑)
人の直感と実際の確率の「ずれ」がとても不思議。
私もこの問題を知った時に、家族にやってみよう!と思って息子くんにやってみたら、いとも簡単にあっさり確率で回答されてしまい、全然面白くなかったのであった。

 

 

コレダカラリケイハー

 

フォローアップからの教える技術

午前中は、吉祥寺くすのきの会のフォローアップ会へ。
今月から昨年末に修了した第3回平日パセージの受講者さんも新たにご参加で、フレッシュな雰囲気。新たに仲間が増えてゆくのはとても嬉しい。
また、子育て中の皆さんがあっという間に打ち解けてしまうこともとても嬉しい。

来月のフォローアップ会は特別企画で「手作り味噌」をみんなで学ぶ会をすることになった。

表参道にある、たまな食堂に併設されているたべごと教室でナチュラルフードインストラクター資格を取ってからかれこれ3年経つ。(現在はこのコース、リニューアル中で募集を停止しているようですが・・・)素敵な先生方ばかりで、ただ食べることだけでなく、食を取り巻く諸問題を歴史、科学、実技、様々な角度から学ばせていただいたのだった。
この経験がやっと誰かのお役に立ちそう。

 

夜からは、これもお手伝いして3年目の早稲田大学エクステンション講座「教える技術」に。
アシスタントとして何度も向後先生のこの講義は拝聴しているのだけれども、毎回新鮮な学びがある。運動技能を教える回だったのだけれども、これまではシェイピングゲームだったところ、今回はけん玉での実習となった。これが、意外に面白くてハマってしまった。

けん玉は全くできなかったのだけれど、アシスタント同士でアドバイスし合いながらチャレンジしたら「もしかめ」となんといきなり「飛行機」という技まで出来てしまった。楽しく集中したので結構よい運動になった。(けん玉がいい運動ってどれだけ運動不足なんだと反省もした)

誰かに、何かを学んでもらうときは、よく相手を観察して、適切なときに適切な分量のフィードバックを直ぐに与えること。言いすぎても言わなさすぎても良くない。野田先生も講座で仰っていたけれど「何を言うかではなく、何を言わないか」が学びにはとても大切なのだ。
そして50/50で成功するちょうどよい課題に取り組むこと。簡単過ぎれば飽きるし、難しすぎたら不安になる。

こうやって書くと至極当たり前のようだが、私たちはこういうことを教わっていない。知っているのと知らないのでは雲泥の差だと思う。

 

 

ミンナニオシエカタヲオシエテホシー

私の価値感は正しい

誰しも「これは素敵よね」とか「これはよろしくない」という自分なりの基準を持っている。この基準=価値観をアドラー心理学では「私的感覚」という。

とにもかくにも、人の事例を扱うためには自らの事例をどんどん扱ってもらって自分自身を知るに限る、と思っている私は、どんな学習会に出ても自分のエピソードをできる限り提供しようと心がけています。

そんなわけで、今日もある大人の方との自分のエピソードを扱ってもらったのですが、これが面白いくらいに毎回毎回金太郎飴みたいに同じ私的感覚が出てくるので苦笑。

いや全然笑えないんですけどね。

毎回出てくるということは、この私的感覚をゴリゴリ使っているときに大抵失敗しているということなのでいいかげん、気づけよ、というハナシです。どんなに素敵な価値観であってもグイグイ「あなたもこれにしなさい」とそれを押し付けられたら、そりゃ、no thank you ですわ…。

それで、競合的である自分の対応を知り確認した上で今回の私にグイグイ私的感覚を押し付ける代わりにどんな代替案をいただいたかというと。

なんとパセージの「子どもの課題を共同の課題にする」の1.子どもから言葉で頼まれたとき。

うふふふ、なんと基本的な(^_^;)←こわれぎみ

パセージの内容で対応策ができるということは、それだけチョー初歩的なことができていないってことです。

この相手に対しては、良くないことに注目し続けて、「あなた間違ってますー、私のこの素敵な正しい価値観を採用しなさーい」とグイグイ押しつけることでうまくいかない関係性のパターンを繰り返している。

やっぱり自分のことは自分が一番わからない。自分の私的感覚コレクターになろーっと。

カチカングイグイー

頭パンパン

秋のパセージ開講まっただ中である。

リーダーになって3回目の主催パセージなのだけれども、さっぱり上達せずに気ばかり焦っている。

テキストとマニュアルに首っぴきになって当日のシュミレーションをするのだけど、やればやるほどうう〜むとわからなくなる感覚。つい先ほどまで頭から湯気が出るほどあれこれ考えて、結局、これ以上はシュミレーションする意味なし、と思い至り、思考だけやたらモリモリで惚けているところ。

なんだかどんどんへたっぴになっているような気分…。現状は頼りになる先輩リーダーさんがフォローに入ってくださっているので安心して失敗できる環境にあるのだから、恐れることもないのだけど、やっぱり恐ろしい(笑)

決定的に事例の扱いがド下手で、頭真っ白になること多々、毎回前日は胃が痛む。

どうも私は体感覚型学習タイプらしく(今さら気づいたか?という声が聞こえてきそうだけども)、わー!とかきゃー!とか騒ぎつつ、体当たりして上達していく人らしい。とにかく、見取り稽古をして現場に立ち、バーン!と投げられて身に染みる、の積み重ねしかない。

ああ、なんてスマートじゃないのっ。

点と点で理解しているものが、もう少し一本の筋になれば良いのだけれど…。

先日、アドラー心理学の理論はとても数学的だ、というお話を聞いた。

す、数学…。

私の天敵です…。

まだまだ道のりは遠そうです…。

 

バカーズハバカズー

オンラインで学ぶ “おとなの研究”コースをスタートします。

9月1日からから開講します。

ちはる塾

オンラインで学ぶ “ちはる塾おとな学部” がスタートします。
最初に開講するのは “おとなの研究” コースです。

「研究」というと難しく思えたり、
現場には関係ないと思うかもしれませんが
そうではありません。

現場の観察から問題を発見してデータを取り、
それを分析して研究論文を書いて発表することによって、
現場も自分も大きく成長していきます。
その方法を身につけましょう。

学習の進め方は、
インターネットでの学習と個別ファシリテーションを
組み合わせた社会人(おとな)向けのコースです。

この方法は、SPOC(スポック)と呼ばれています。
SPOCは
Small(小さな)
Private(個別の)
Online(オンライン)
Courses(コース)
という意味です。

■こんな方はぜひご参加ください!

□ 自分の職場や仕事に問題を感じている
□ データで問題点を明確にしたい
□ データに基づく提案をしたい
□ 目先だけでなく長期的な改善をしたい
□ 研究の方法をきちんと習得したい
□ 研究発表ができるようになりたい

■学習内容(1年間)

□ 現場の観察から研究テーマを見つける
□ 働いている要因と変数を見つける
□ データを取るための枠組みを考える
□ データを整理してグラフ化する
□ 統計分析によって結果を読み取る
□ 研究論文として仕上げ、発表する

■各シーズンの概要

□第1シーズン 2017年9月1日〜11月30日
テーマを決め、文献研究をする。
□第2シーズン 2017年12月1日〜2018年2月28日
研究計画を立て、データ収集の準備をする。
□第3シーズン 2018年3月1日〜5月31日
データ収集をして、それを整理・分析する。
□第4シーズン 2018年6月1日〜8月31日
研究論文を書き、発表の準備をする。

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■第1シーズン(3ヶ月)の募集

・日程:2017年9月1日(金)〜11月30日(木)
・定員:12名
・受講費:30,000円(税込)
・受講方法:
2週間ごとに導入のビデオレクチャーを視聴して、
簡単な課題をやりながら研究の方法を学んでいきます。
ファシリテータが随時手助けをしますので
安心して進められます。
最後に4ページの研究論文として完成させます。
研究は「おとな研究会」で発表の機会を設けます。
第1シーズンの受講者は優先的に第2シーズンに継続申し込みができます。

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■申し込み・お問い合わせ

お申し込みはメールで
「ちはる塾おとなの研究コースに参加します。」
と書いていただき、
kogo@waseda.jp
までお送りください。

また、質問、お問い合わせについても
同じアドレスにお送りください。

お待ちしております。

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