仲間とナチュラルコスメとエプロン

先週終了した吉祥寺でのパセージ・プラスの特別フォロー会だった。
コース中、雪による交通機関の混乱を懸念し、1回分を時短で開催したことがあるので、その分のおまけフォロー会である。

今回のプラスは、私も受講者として参加していたため、すっかりメンバーの気分で席に座っていたら、「誰がリードするの」とおふたりのリーダーさんに突っ込まれ、「今回受講者でしたし!」と言ったら「これからフォローやっていくのだから、ね。」と、考えてみたら当然のことを指摘されて、急にワタワタ。
緩みきった脳みそはそんなに急にはキリッとしないもので、自分が進行をするモードになるまで相当の時間を使ってしまった。

何度進行役になっても、全然慣れません。

ひとつメンバーさんの事例をみんなで検討して、そのあとはコース中に途中までやったワークの残りをやり、なぜか爆笑のうちにフォロー会は終了した。

 

時間の許すメンバーと一緒にランチに繰り出す。
吉祥寺で一緒に学んでいるメンバーさんたちには本当に恵まれていて、いつも私以上にくすのきの会の運営を真剣に考えてくださる。
今日のランチ中も、どうしたら一緒に学ぶ仲間を増やせるか、どこにチラシを置くことができるか、どんなところに協力をしてもらえそうか、山のようなアイデアを出してもらった。
みなさまなしでは、私本当にやってゆけません・・・感謝です。

それだけ、パセージを学んでの子育てがとてもうまくいっているからなんだろうな、と思う。
1度きりではなくて、2度3度、もしくは子どもの成長の節目に再受講すると、これが腑に落ちる度合いがその時によって全く違うのだから面白い。
かんだらかんだだけ味が出る、スルメのようなプログラムである。

気軽に参加できるようなミニ講座と、講師を招いての講座を定期的に開催しようよ、ということになったので、また素敵な仲間とお会いできたら嬉しい。

帰り道、コスメキッチンに寄って、チークとアイシャドウを見る。
最近粉のものを付けると乾燥やくすみを感じることが多くて、肌を塞いで呼吸困難になっているような、そんなシンドさがあった。
いろいろ調べて試してみて、これは成分に関係があるのではないかと思い至り、少しずつ肌に負担が少ないであろう化粧品に切り替えてきた。

ここのところ、ファンデーションはETVOSのディアミネラルファンデーションが非常に調子が良いので、チークはETOVSのミネラルクリアリップ&チークで、ライン買いすることに。アイシャドウはMiMCにしてみた。このブランドは初挑戦。

帰宅してから、これまで使っていた色ものコスメをバッサリと処分する。
コスメボックスがスカスカになった。
おまけやパッケージに惹かれて、いかによく考えず無駄に買い物をしていたのか改めてわかった。私のメイクはたったこれだけしか使ってなかったんだね。

そうだ。
駅に向かうコンコースで期間限定のお店が出ていて、つい一目惚れしてエプロンを買ってしまった。せっかく無駄な買い物をやめようと思ったのに。
でも、エプロンは毎日使うからよしとしよう。

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こいつの顔にヤラレタ

 

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言葉を正しく使う

京橋パセージプラスの4回目。

パセージプラスでは、エピソードを使って前に出て分析する過程をひとりひとり実際に演習する。

今日はひとつ私がやらせていただいた。

手順は決して複雑なものではなく、テキストに全て書いてあるので、難しいと感じるものではない。

のだけど。

前に出て、実際にやってみると、本当にうろ覚え。しかも、いつのまにか勝手に自分の言葉に解釈していたりする。

都度、「テキストを見てね」「テキストにはなんて書いてある?」とリーダーさんがアテンションしてくれる。

今日、改めて学んだことは、

『これまでの経験や知識はとりあえず脇に置いて、型通り素直にやる』

ということ。

これまでの経験則にいちいち照らし合わせていると、テキストの言葉をぼんやりと解釈してしまう。書かれている通り、そのままに理解する。

自分がどの理論に立脚しているかをカチッと決めておかないと、あっという間に明後日の方へ引きずられてしまう。

知らぬ間に、自論オバさん(笑)

これ、なんだかどこかで覚えがあるなぁ…と考えたら、社会人大学生の時にも感じたことだった。

社会人は、人生経験が下手にあるだけに、その経験に基づいて物事を見る。せっかく新たな知識を学びに来ているのに、「〜の経験では」とか「〜ではこうだ」みたいな自論展開をして、そのまま素直に受け取ることができない、という場面を少なからず目にした。

学生になりきれない学生である。

そう。

せっかく学びに来ているのだから、すっかり空っぽになって素直に学ばねば。

もし、学ぶには適齢がある、ということが事実だとしたら、その理由はそんなところにあるのかもしれない。

くたくた

インフルエンザがスゴイ。

仕事が終わると、自分自身がインフルエンザウイルスになっちゃってるんじゃないかと心配になるくらい、インフルエンザ患者が受診するので、感染予防に細心の注意をはらう。

午後からは、銀杏の会で、アドラーギルドの「基礎講座応用編」を受講したメンバーによるシェア会に参加したのだけど、そんなわけで仕事が終わらず、大遅刻での参加になってしまい、残念。

シェア会は大勢の受講者がいるときには質問できなかったことや、改めて振り返って気づくことなど肩の力を抜いて話し合うことができ、勉強になる。シェアする方にもなったことがあるが、これもまた、人に伝えようとするとさらに勉強になるのだよね。

そのままカウンセリング分科会にオブザーバーとして参加。

娘ちゃんの「お弁当箱洗わない問題」を事例として扱ってもらった。

すでに育児の年齢を超えている娘ちゃんとの関わりは、学童期の子どもとはもうひと段階違う頭を使わなければならないように感じる。「子どもの協力をかちとる」にもあるように、親がよく技術を学ぶ必要があると思う。

しかし、どうあれ、ひたすらにお互いが協力をして課題を乗り越えて行くことには変わりない。

まだよく自分の中で噛み砕けていないし、今日はもう頭が働きそうにないので、また後日。

パセージプラス2回目からの合唱祭

吉祥寺のパセージプラスは、6章をゆっくり8回で学ぶコースになっている。
なので、2回目は第1章の復習の日。

パセージでは、アドラー心理学の理論は出てこない。
パセージプラスでは、初めてアドラー心理学がどのような理論で動いているのか出てくるので、新しい用語がたくさん出てくるし、言葉遣いも難しくなる。
なので、第1章をもう一度復習してもらうととても助かる。

ある日ある時の一場面のやりとり(エピソード)で、「エピソード分析」という技法を使って子どもへのより協力的な援助をメンバー全員で考えていく。

あるエピソードで自分が子どもにとった対処行動は、子どもに「こう変わって欲しい」と私が望んでおり、その理想を叶えるために私が繰り出した行動である。その結果「子どもにこう答えて欲しいな」という理想の応答を考えて「仮想的目標」というものを出すのだけれど、これが文字にしてみると、実にとんでもない無理難題を相手にふっかけていることがわかる。
毎回、苦笑するしかない。

試しに、ロールプレイをして、子ども役の人にその「仮想的目標」であるセリフを言ってもらうと一目瞭然、「絶対こんなこと言わないわ〜〜!!」とメンバー全員で大笑いである。

自分がいかに競合的な関わり方をしているか噛み締めながらも、和気あいあいと学んでいる。

午後は、そのままの足で娘ちゃんの合唱祭へ。

毎年、仕事と重なってしまって実は一度も来たことがなかった。
高校2年で最後なのでなんとしても観に来たかったのである。

ちょうど中学の部と高校の部の間の休憩時間で、広い会場を埋め尽くす元気の良い女子学生たちに少々圧倒されながら席に着く。
合唱なんて、自分がやったのは一体いつだったろうか。確か高校ではスポーツ大会だったような気がするので、もしかしたら中学生?そういえば中学3年の時は伴奏をやったんだった。課題曲と、自由曲はアカペラで小田和正の曲を歌ったんだ。それでうちのクラスは優勝したような。

などなど考えているうちに、高校の部の始まり。

女子だけの合唱って綺麗だなー。
よく練習されてるのがよくわかる。
高校生は、一切先生方は手を貸さず、全てクラス全員で本番まで作り上げるのだそう。
休み時間は学校中歌声で溢れるんだって。

これは、甲乙つけるのは難しいな、と思って高校1年生の合唱を聞いていると、保護者席のそちこちからもそんな話し声が聞こえて来た。1年生が賞とることもあるかもね、なんて。

さて、いよいよ2年生。
娘ちゃんのクラスはトップバッターだ。
壇上に全員が整列するまで、クラスの代表がマイクでクラス紹介をするのだけれど、これがコントあり、寸劇ありで、面白い。
ギャグがちょっとコケて、会場がドッとわいたところで、準備オッケー。

彼女たちが最初の一小節を歌い出した瞬間、会場の空気が変化した。
客席の全員が居住まいを正した、という雰囲気がさざなみのように伝わって来た。
1年生も素晴らしかったのだけど、2年生のそれは次元が違っていた。
なんというか、歌が、伝わってくるんだよね。そうか〜こんなに一年間でお姉さんになるんだね、と思ったらちょっとこみ上げるものがあった。

2年生の合唱は本当にどのクラスも素晴らしくて、合間合間で一生懸命練習したであろうこと、試行錯誤した中には、もめたりしたこともあったんだろうこと、最後だから精一杯やろうという思いなどがひしひしと伝わって来て、胸熱だった。

娘ちゃんのクラスは高校の部金賞をいただいた。
最優秀賞は同じ2年の別のクラスだったけれど、本当に僅差だったと思う。
ひとつ、素人ながら気がついたのは、指揮の子がとても上手だったな、ということ。後ろ姿からでも、クラスひとりひとりのことを良く見ていて、つい歌いたくなっちゃうような指揮をしていた。

合唱、というものをこんなに真剣に五感で聴いたことがなかったので、とても良い時間を過ごすことができた。

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思春期を勇気づける

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午後、「子どもの協力をかちとる」の輪読会へ。

吉祥寺くすのきの会でも少しずつ進めているけれども、銀杏の会ではだいぶ進んでいて、今日はちょうどティーンエイジャーのところに入っていた。

子どもと言うのももうふさわしくなく、かといって大人とも言えない思春期の子どもとの関係はどこの親も頭を悩ませるところである。
アドラー心理学では「育児は15歳まで」と言われている。
その基準に照らし合わせると、我が家の子どもたちはもう「育児」をする年齢はとうに過ぎていて、もう十分に他者と協力的な関係を築き、自分の人生を自分で切り開く力を持っている(はず)。

もう、子ども扱いされることも、親の意見に従うことも、なんでも手を貸すことも、望んでいないことなのだ。

けれども、親は心配やら不安やらを使ってあれこれ介入をして、結局のところ、子どもから自発性や自信を奪い取ってしまう。
大変に耳の痛い話である。

 

親が彼らに対する不信感を信頼に変えること。
あれこれ言わなくても、彼らにはもう全て自分自身でできる力があること。
問題が起こった時は、争ったりせず、解決に向けてお互いで協力するために話し合いをすること。

どれもこれも、パセージで少しずつ、練習し積み重ねたことが、大人へ向かおうとする思春期の子どもたちへの援助に繋がっていくのだとつくづく思った。

今日のメンバーは全員すでに「育児は終了」の年齢の子どもを持っている人ばかりで、「もっと小さい頃にアドラー育児を知って入ればねぇ・・・」としみじみとため息をついてしまったのであった。

いやいや。遅いことはない。今日からまた歩み出せばよい。
アドラー先生だって、「性格は死ぬ1~2日前でも変えられる。決心さえすれば。」とおっしゃっているではないか。
これからの子どもたちとの関係をより協力的なものへとするべく、前進あるのみ、である。

 

【今日の論文】

(再読)
「乳幼児版養育スキル尺度の作成〜乳幼児版ペアレントトレーニングに向けて 1〜」
立元・武井・上富(2017)