言葉を正しく使う

京橋パセージプラスの4回目。

パセージプラスでは、エピソードを使って前に出て分析する過程をひとりひとり実際に演習する。

今日はひとつ私がやらせていただいた。

手順は決して複雑なものではなく、テキストに全て書いてあるので、難しいと感じるものではない。

のだけど。

前に出て、実際にやってみると、本当にうろ覚え。しかも、いつのまにか勝手に自分の言葉に解釈していたりする。

都度、「テキストを見てね」「テキストにはなんて書いてある?」とリーダーさんがアテンションしてくれる。

今日、改めて学んだことは、

『これまでの経験や知識はとりあえず脇に置いて、型通り素直にやる』

ということ。

これまでの経験則にいちいち照らし合わせていると、テキストの言葉をぼんやりと解釈してしまう。書かれている通り、そのままに理解する。

自分がどの理論に立脚しているかをカチッと決めておかないと、あっという間に明後日の方へ引きずられてしまう。

知らぬ間に、自論オバさん(笑)

これ、なんだかどこかで覚えがあるなぁ…と考えたら、社会人大学生の時にも感じたことだった。

社会人は、人生経験が下手にあるだけに、その経験に基づいて物事を見る。せっかく新たな知識を学びに来ているのに、「〜の経験では」とか「〜ではこうだ」みたいな自論展開をして、そのまま素直に受け取ることができない、という場面を少なからず目にした。

学生になりきれない学生である。

そう。

せっかく学びに来ているのだから、すっかり空っぽになって素直に学ばねば。

もし、学ぶには適齢がある、ということが事実だとしたら、その理由はそんなところにあるのかもしれない。

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くたくた

インフルエンザがスゴイ。

仕事が終わると、自分自身がインフルエンザウイルスになっちゃってるんじゃないかと心配になるくらい、インフルエンザ患者が受診するので、感染予防に細心の注意をはらう。

午後からは、銀杏の会で、アドラーギルドの「基礎講座応用編」を受講したメンバーによるシェア会に参加したのだけど、そんなわけで仕事が終わらず、大遅刻での参加になってしまい、残念。

シェア会は大勢の受講者がいるときには質問できなかったことや、改めて振り返って気づくことなど肩の力を抜いて話し合うことができ、勉強になる。シェアする方にもなったことがあるが、これもまた、人に伝えようとするとさらに勉強になるのだよね。

そのままカウンセリング分科会にオブザーバーとして参加。

娘ちゃんの「お弁当箱洗わない問題」を事例として扱ってもらった。

すでに育児の年齢を超えている娘ちゃんとの関わりは、学童期の子どもとはもうひと段階違う頭を使わなければならないように感じる。「子どもの協力をかちとる」にもあるように、親がよく技術を学ぶ必要があると思う。

しかし、どうあれ、ひたすらにお互いが協力をして課題を乗り越えて行くことには変わりない。

まだよく自分の中で噛み砕けていないし、今日はもう頭が働きそうにないので、また後日。

パセージプラス2回目からの合唱祭

吉祥寺のパセージプラスは、6章をゆっくり8回で学ぶコースになっている。
なので、2回目は第1章の復習の日。

パセージでは、アドラー心理学の理論は出てこない。
パセージプラスでは、初めてアドラー心理学がどのような理論で動いているのか出てくるので、新しい用語がたくさん出てくるし、言葉遣いも難しくなる。
なので、第1章をもう一度復習してもらうととても助かる。

ある日ある時の一場面のやりとり(エピソード)で、「エピソード分析」という技法を使って子どもへのより協力的な援助をメンバー全員で考えていく。

あるエピソードで自分が子どもにとった対処行動は、子どもに「こう変わって欲しい」と私が望んでおり、その理想を叶えるために私が繰り出した行動である。その結果「子どもにこう答えて欲しいな」という理想の応答を考えて「仮想的目標」というものを出すのだけれど、これが文字にしてみると、実にとんでもない無理難題を相手にふっかけていることがわかる。
毎回、苦笑するしかない。

試しに、ロールプレイをして、子ども役の人にその「仮想的目標」であるセリフを言ってもらうと一目瞭然、「絶対こんなこと言わないわ〜〜!!」とメンバー全員で大笑いである。

自分がいかに競合的な関わり方をしているか噛み締めながらも、和気あいあいと学んでいる。

午後は、そのままの足で娘ちゃんの合唱祭へ。

毎年、仕事と重なってしまって実は一度も来たことがなかった。
高校2年で最後なのでなんとしても観に来たかったのである。

ちょうど中学の部と高校の部の間の休憩時間で、広い会場を埋め尽くす元気の良い女子学生たちに少々圧倒されながら席に着く。
合唱なんて、自分がやったのは一体いつだったろうか。確か高校ではスポーツ大会だったような気がするので、もしかしたら中学生?そういえば中学3年の時は伴奏をやったんだった。課題曲と、自由曲はアカペラで小田和正の曲を歌ったんだ。それでうちのクラスは優勝したような。

などなど考えているうちに、高校の部の始まり。

女子だけの合唱って綺麗だなー。
よく練習されてるのがよくわかる。
高校生は、一切先生方は手を貸さず、全てクラス全員で本番まで作り上げるのだそう。
休み時間は学校中歌声で溢れるんだって。

これは、甲乙つけるのは難しいな、と思って高校1年生の合唱を聞いていると、保護者席のそちこちからもそんな話し声が聞こえて来た。1年生が賞とることもあるかもね、なんて。

さて、いよいよ2年生。
娘ちゃんのクラスはトップバッターだ。
壇上に全員が整列するまで、クラスの代表がマイクでクラス紹介をするのだけれど、これがコントあり、寸劇ありで、面白い。
ギャグがちょっとコケて、会場がドッとわいたところで、準備オッケー。

彼女たちが最初の一小節を歌い出した瞬間、会場の空気が変化した。
客席の全員が居住まいを正した、という雰囲気がさざなみのように伝わって来た。
1年生も素晴らしかったのだけど、2年生のそれは次元が違っていた。
なんというか、歌が、伝わってくるんだよね。そうか〜こんなに一年間でお姉さんになるんだね、と思ったらちょっとこみ上げるものがあった。

2年生の合唱は本当にどのクラスも素晴らしくて、合間合間で一生懸命練習したであろうこと、試行錯誤した中には、もめたりしたこともあったんだろうこと、最後だから精一杯やろうという思いなどがひしひしと伝わって来て、胸熱だった。

娘ちゃんのクラスは高校の部金賞をいただいた。
最優秀賞は同じ2年の別のクラスだったけれど、本当に僅差だったと思う。
ひとつ、素人ながら気がついたのは、指揮の子がとても上手だったな、ということ。後ろ姿からでも、クラスひとりひとりのことを良く見ていて、つい歌いたくなっちゃうような指揮をしていた。

合唱、というものをこんなに真剣に五感で聴いたことがなかったので、とても良い時間を過ごすことができた。

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思春期を勇気づける

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午後、「子どもの協力をかちとる」の輪読会へ。

吉祥寺くすのきの会でも少しずつ進めているけれども、銀杏の会ではだいぶ進んでいて、今日はちょうどティーンエイジャーのところに入っていた。

子どもと言うのももうふさわしくなく、かといって大人とも言えない思春期の子どもとの関係はどこの親も頭を悩ませるところである。
アドラー心理学では「育児は15歳まで」と言われている。
その基準に照らし合わせると、我が家の子どもたちはもう「育児」をする年齢はとうに過ぎていて、もう十分に他者と協力的な関係を築き、自分の人生を自分で切り開く力を持っている(はず)。

もう、子ども扱いされることも、親の意見に従うことも、なんでも手を貸すことも、望んでいないことなのだ。

けれども、親は心配やら不安やらを使ってあれこれ介入をして、結局のところ、子どもから自発性や自信を奪い取ってしまう。
大変に耳の痛い話である。

 

親が彼らに対する不信感を信頼に変えること。
あれこれ言わなくても、彼らにはもう全て自分自身でできる力があること。
問題が起こった時は、争ったりせず、解決に向けてお互いで協力するために話し合いをすること。

どれもこれも、パセージで少しずつ、練習し積み重ねたことが、大人へ向かおうとする思春期の子どもたちへの援助に繋がっていくのだとつくづく思った。

今日のメンバーは全員すでに「育児は終了」の年齢の子どもを持っている人ばかりで、「もっと小さい頃にアドラー育児を知って入ればねぇ・・・」としみじみとため息をついてしまったのであった。

いやいや。遅いことはない。今日からまた歩み出せばよい。
アドラー先生だって、「性格は死ぬ1~2日前でも変えられる。決心さえすれば。」とおっしゃっているではないか。
これからの子どもたちとの関係をより協力的なものへとするべく、前進あるのみ、である。

 

【今日の論文】

(再読)
「乳幼児版養育スキル尺度の作成〜乳幼児版ペアレントトレーニングに向けて 1〜」
立元・武井・上富(2017)

自己嫌悪の目標

パセージプラスの第3章「自分を勇気づける」は、グッサリと刺さる一文から始まる。

 

私はダメな人間だ。(だから努力しなくてもいいんだ。)

『パセージプラステキスト』より

 

中略後、さらに続く。

 

その目標は、自分を免罪して、責任を逃れることです。

『パセージプラステキスト』より

 

 

ぎょえー。

パセージプラスの3回目、今日は私はこのページが自分的にヒットだった。
自己嫌悪して、しおらしく反省していると見せかけて、実のところ責任逃れの免罪符を作り出している。これ、私にはものすごく思い当たる行動パターンのように思ったからだ。
このページで、思い切って自分のエピソードを取り扱っていただいた。
パセージのリーダーをしていて、時間超過したり、散漫な内容になってしまったり、終わったら自己嫌悪ばかりしている、ということを正直に吐露して、そのエピソードの中で自分が短所だと思う事柄をピックアップして、それをメンバーの皆さんに長所に言い換えていただいた。

短所だと感じているところを、反対側から見てみるのは不思議だ。

問題点が明確でない→大らか
勉強不足→伸びしろがある。やればできる。
言い訳→問題追及力

 

あー。意外と、私、私いけるかも。

とちょっと緩んだところで、この長所を使って何ができる?と考える。

『みなさんの居心地の良い場を作る。次はどうしたらいいのかなと見つけだして、改善し、バージョンアップしたパセージのコースを提供する』

みなさんに見つけていただいた長所を使うと、こんなことが私にはできそうだ。

 

短所を並べ立て、自己嫌悪に陥って責任逃れをしている時間があったら、長所を探して、それをどう組み合わせるか考える。
『私の使い道を考える』

プライドが高いな、と思ったらそのプライドが高いことを使って、私をどのように使うか。
頭が悪いな、と思ったら、体は元気だから他にできることがある。

いつでも、私にはできることがあるのだ。
私の幸福は、私自身が努力して手に入れるもの。

うん、このページは今年目一杯取り組んでみよう。

 

【今日の読み物】

「心療内科」 池見酉二郎 著 中公新書

 

パセージプラス初回からの教える技術2回目

先輩リーダーさんおふたりをお招きして、吉祥寺くすのきの会で毎月アドラー育児の勉強を続けている仲間と、パセージプラスを開催。初回のパセージ開催から丸一年以上このメンバーでコツコツ続けてこれたのだなぁ。

私には、「しっかりするべし」とか「カンペキにやるべし」とかいう私的感覚があるようで、やもすると丸抱えにしがちなのだけれど、この仲間がいるからこそ、ずっと続けてこられたし、また私も勉強しなくちゃと思えるし、本当に有難いことだ。

一旦、帰り夕飯の支度をしてから、教える技術の2回目へ。

今日のお題は認知技能をどのように教えるか。
昨年の講座でもやったのだが、モンティホール問題を全員で取り組む。
これが、説明されて理屈はわかるのですが、どうしても感情的に納得できないのだ(笑)
人の直感と実際の確率の「ずれ」がとても不思議。
私もこの問題を知った時に、家族にやってみよう!と思って息子くんにやってみたら、いとも簡単にあっさり確率で回答されてしまい、全然面白くなかったのであった。

 

 

コレダカラリケイハー

 

異世代と協働する

午前中は、京橋で行われているパセージプラスの2回目へ。
パセージプラスは一年ぶりの再受講なので、すっかりフレッシュな気持ちで受講できる。(それでいいのか)くすのきの会でも、木曜日からプラスをスタートさせるので、私的にこの初春は絶賛プラスキャンペーンだ。なんとか骨子を掴みたい。

大急ぎで横浜まで移動して、午後からはこの6月に仲間とやるイベントの打ち合わせに。
昨年の夏頃から動き始めて、細かいところの諸々は決定したので、イベントに協力していただく外部の方々にきていただいての打ち合わせである。

イベント、といってもただのおばちゃんたちが手弁当で企画しているので、当然予算はなく、広報についてはどうしてもWordで作った素人感満載のもので告知することが多い。届くように伝える、繋がるための努力もしなくちゃいけないよね、ということが今回のテーマでもあるので、チラシをプロの方にお任せすることにしている。

うら若き22歳のクリエイターさんは現役美大生。(子どもつながりで人脈を使う。ここはおばちゃん力の発揮である。)
物静かで穏やかな素敵な青年なのだけれど、ジッと話を聞き、疑問点をしっかりと明確にする質問を無駄なく繰り出す姿に心底感銘してしまった。
そして、何よりも、プロの視点、そして、若い感性で捉えたアドバイスが改めて考えたらいちいちごもっともで、思考が凝り固まっていたことを全員で痛感してしまったのだった。

異世代と共に働くっていい。

私たちの考えていることは十分にお伝えできたと思うので、彼が持ち前の感性でそれをどんな形で具現化してくれるのか今からとても楽しみである。

イロンナセダイトツナガリタイー

フォローアップからの教える技術

午前中は、吉祥寺くすのきの会のフォローアップ会へ。
今月から昨年末に修了した第3回平日パセージの受講者さんも新たにご参加で、フレッシュな雰囲気。新たに仲間が増えてゆくのはとても嬉しい。
また、子育て中の皆さんがあっという間に打ち解けてしまうこともとても嬉しい。

来月のフォローアップ会は特別企画で「手作り味噌」をみんなで学ぶ会をすることになった。

表参道にある、たまな食堂に併設されているたべごと教室でナチュラルフードインストラクター資格を取ってからかれこれ3年経つ。(現在はこのコース、リニューアル中で募集を停止しているようですが・・・)素敵な先生方ばかりで、ただ食べることだけでなく、食を取り巻く諸問題を歴史、科学、実技、様々な角度から学ばせていただいたのだった。
この経験がやっと誰かのお役に立ちそう。

 

夜からは、これもお手伝いして3年目の早稲田大学エクステンション講座「教える技術」に。
アシスタントとして何度も向後先生のこの講義は拝聴しているのだけれども、毎回新鮮な学びがある。運動技能を教える回だったのだけれども、これまではシェイピングゲームだったところ、今回はけん玉での実習となった。これが、意外に面白くてハマってしまった。

けん玉は全くできなかったのだけれど、アシスタント同士でアドバイスし合いながらチャレンジしたら「もしかめ」となんといきなり「飛行機」という技まで出来てしまった。楽しく集中したので結構よい運動になった。(けん玉がいい運動ってどれだけ運動不足なんだと反省もした)

誰かに、何かを学んでもらうときは、よく相手を観察して、適切なときに適切な分量のフィードバックを直ぐに与えること。言いすぎても言わなさすぎても良くない。野田先生も講座で仰っていたけれど「何を言うかではなく、何を言わないか」が学びにはとても大切なのだ。
そして50/50で成功するちょうどよい課題に取り組むこと。簡単過ぎれば飽きるし、難しすぎたら不安になる。

こうやって書くと至極当たり前のようだが、私たちはこういうことを教わっていない。知っているのと知らないのでは雲泥の差だと思う。

 

 

ミンナニオシエカタヲオシエテホシー

私の価値感は正しい

誰しも「これは素敵よね」とか「これはよろしくない」という自分なりの基準を持っている。この基準=価値観をアドラー心理学では「私的感覚」という。

とにもかくにも、人の事例を扱うためには自らの事例をどんどん扱ってもらって自分自身を知るに限る、と思っている私は、どんな学習会に出ても自分のエピソードをできる限り提供しようと心がけています。

そんなわけで、今日もある大人の方との自分のエピソードを扱ってもらったのですが、これが面白いくらいに毎回毎回金太郎飴みたいに同じ私的感覚が出てくるので苦笑。

いや全然笑えないんですけどね。

毎回出てくるということは、この私的感覚をゴリゴリ使っているときに大抵失敗しているということなのでいいかげん、気づけよ、というハナシです。どんなに素敵な価値観であってもグイグイ「あなたもこれにしなさい」とそれを押し付けられたら、そりゃ、no thank you ですわ…。

それで、競合的である自分の対応を知り確認した上で今回の私にグイグイ私的感覚を押し付ける代わりにどんな代替案をいただいたかというと。

なんとパセージの「子どもの課題を共同の課題にする」の1.子どもから言葉で頼まれたとき。

うふふふ、なんと基本的な(^_^;)←こわれぎみ

パセージの内容で対応策ができるということは、それだけチョー初歩的なことができていないってことです。

この相手に対しては、良くないことに注目し続けて、「あなた間違ってますー、私のこの素敵な正しい価値観を採用しなさーい」とグイグイ押しつけることでうまくいかない関係性のパターンを繰り返している。

やっぱり自分のことは自分が一番わからない。自分の私的感覚コレクターになろーっと。

カチカングイグイー

頭パンパン

秋のパセージ開講まっただ中である。

リーダーになって3回目の主催パセージなのだけれども、さっぱり上達せずに気ばかり焦っている。

テキストとマニュアルに首っぴきになって当日のシュミレーションをするのだけど、やればやるほどうう〜むとわからなくなる感覚。つい先ほどまで頭から湯気が出るほどあれこれ考えて、結局、これ以上はシュミレーションする意味なし、と思い至り、思考だけやたらモリモリで惚けているところ。

なんだかどんどんへたっぴになっているような気分…。現状は頼りになる先輩リーダーさんがフォローに入ってくださっているので安心して失敗できる環境にあるのだから、恐れることもないのだけど、やっぱり恐ろしい(笑)

決定的に事例の扱いがド下手で、頭真っ白になること多々、毎回前日は胃が痛む。

どうも私は体感覚型学習タイプらしく(今さら気づいたか?という声が聞こえてきそうだけども)、わー!とかきゃー!とか騒ぎつつ、体当たりして上達していく人らしい。とにかく、見取り稽古をして現場に立ち、バーン!と投げられて身に染みる、の積み重ねしかない。

ああ、なんてスマートじゃないのっ。

点と点で理解しているものが、もう少し一本の筋になれば良いのだけれど…。

先日、アドラー心理学の理論はとても数学的だ、というお話を聞いた。

す、数学…。

私の天敵です…。

まだまだ道のりは遠そうです…。

 

バカーズハバカズー