いろいろありすぎてお腹いっぱいの日

通勤電車の中でその日のニュースを拾い読みするのだが、こんなインタビュー記事があった。

94歳が断言”読書が役立つのは30代まで”〜外山滋比古さん「知的生活」の方法〜

外山滋比古さんの著書「思考の整理学」は私も拝読したことがあって、頭の良い人はこんな風に物事を思考されるのだなと思った記憶がある。読んで随分とたつのでまた再読してみよう。

それはさておき、記事のタイトルにちょっとしたショックを受ける。
なにせ、こちらは『濃い会』として読書仲間と読書に勤しみ始めたところだ。タイトル通りであれば、すでに10年以上オーバーしているではないか。

ガーンとしながら記事を読んだら、
「本の知識が役立つのは30代まで。本に頼らず知性を働かせよ。本から生き方のヒントを得てもそれは他者の生き方の亜流でしかない。」
といきなりきて、うぎゃーとなる。

ではどうすることがオススメなのかと思ったら、「自分なりに考え」「新しい知的な刺激を与え合うような仲間が必要」で、「覚えたら忘れ、覚えたら忘れで脳の新陳代謝を」する、ということだった。

・・・なんだこれ、まんま濃い会では(笑)

良い仲間に出会えて早速実践できているのね、と一安心した。

仕事を終えた足で、娘ちゃんの三者面談へ。
これが、実に憂鬱なものになるであろうことは前日からわかっていて、私なりに娘ちゃんに意志を確認し望んだはずだったのだが、まあ結果は散々であった。むしろ、私のぼんやり感じていたことが、より一層確固たる事実になった感じだ。先生と娘ちゃんのやりとりだけでほぼひとことも発することなく、学校を後にする。

もう、猛烈に悔しかった。悲しさもちょっぴり混ざっていたが。
あまりの陰性感情でちょっと収まりそうになかったので、娘ちゃんに先に帰ってもらって喫茶店で落ち着いてから帰ることにする。
このままだと娘ちゃんを傷つける何かを言ってしまいそうだったからだった。コーヒーを頼んで、椅子に座って、ひたすら本を読んだ。
しばらく活字に没頭し、半分くらい読んだところでこの陰性感情がなんなのかふと思い至った。

ああ、そうか、私は娘ちゃんが自分の乗り越えるべき課題から目を背け、自らの可能性をいたずらに捨てている状態にあることが、心の底から悔しかったんだな。自分の才能を正当に見つめることができず、わざとハスに構えるような行動をしてしまうのは思春期あるあるだとしても、それが本当にもったいなく、悔しくて悲しかったのだ。

どうしたら、勇気のくじけた娘ちゃんを協力的に援助することができるのだろう。

夫くんが不在なのだけど、これは今日緊急の案件として話し合ったほうが良いと思った。絶賛二浪生活突入の息子くんにも参加してもらい、夕食後じっくりと娘ちゃんの考えていることを聴く。
かなり身体に力が入っていて娘ちゃんはこの話をできない状態なのだな、と思ったので、一旦引き下がろうと思っていた頃、息子くんが口を開いた。

「本当は何をやりたいの?」

そのひとことで、娘ちゃんははた、と自分の気持ちに気がついたようである。

息子くんは続けて、

「ひとつひとつ考えようよ。難しいか難しくないかは別として、好きなものを探してみるとだんだん絞れてくるから」

そういって見事娘ちゃんが自分で思考するための場を整えてしまった。
息子くんの振る舞いを見ながら、失敗するというのは本当に学びのチャンスなのだなとぼんやり考えていた。
彼の苦しい2年の経験は見事に娘ちゃんに伝わった気がする。
人生に起こることには全て意味があるのだ。

話し合いの結果、ぐるっと回って元通り、みたいな結果に落ちどころがあって、ホッとしている反面、なんだかとても疲れてしまった。
真剣な話をたっぷりと時間をとって一生懸命聞いたので、脳みそのオーバーフローかもしれない。

『火車』宮部みゆき

今日、課題図書をまるまる一冊読んでしまったのだけど、この感動はまた後日にしよう。

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パセージプラス2回目からの合唱祭

吉祥寺のパセージプラスは、6章をゆっくり8回で学ぶコースになっている。
なので、2回目は第1章の復習の日。

パセージでは、アドラー心理学の理論は出てこない。
パセージプラスでは、初めてアドラー心理学がどのような理論で動いているのか出てくるので、新しい用語がたくさん出てくるし、言葉遣いも難しくなる。
なので、第1章をもう一度復習してもらうととても助かる。

ある日ある時の一場面のやりとり(エピソード)で、「エピソード分析」という技法を使って子どもへのより協力的な援助をメンバー全員で考えていく。

あるエピソードで自分が子どもにとった対処行動は、子どもに「こう変わって欲しい」と私が望んでおり、その理想を叶えるために私が繰り出した行動である。その結果「子どもにこう答えて欲しいな」という理想の応答を考えて「仮想的目標」というものを出すのだけれど、これが文字にしてみると、実にとんでもない無理難題を相手にふっかけていることがわかる。
毎回、苦笑するしかない。

試しに、ロールプレイをして、子ども役の人にその「仮想的目標」であるセリフを言ってもらうと一目瞭然、「絶対こんなこと言わないわ〜〜!!」とメンバー全員で大笑いである。

自分がいかに競合的な関わり方をしているか噛み締めながらも、和気あいあいと学んでいる。

午後は、そのままの足で娘ちゃんの合唱祭へ。

毎年、仕事と重なってしまって実は一度も来たことがなかった。
高校2年で最後なのでなんとしても観に来たかったのである。

ちょうど中学の部と高校の部の間の休憩時間で、広い会場を埋め尽くす元気の良い女子学生たちに少々圧倒されながら席に着く。
合唱なんて、自分がやったのは一体いつだったろうか。確か高校ではスポーツ大会だったような気がするので、もしかしたら中学生?そういえば中学3年の時は伴奏をやったんだった。課題曲と、自由曲はアカペラで小田和正の曲を歌ったんだ。それでうちのクラスは優勝したような。

などなど考えているうちに、高校の部の始まり。

女子だけの合唱って綺麗だなー。
よく練習されてるのがよくわかる。
高校生は、一切先生方は手を貸さず、全てクラス全員で本番まで作り上げるのだそう。
休み時間は学校中歌声で溢れるんだって。

これは、甲乙つけるのは難しいな、と思って高校1年生の合唱を聞いていると、保護者席のそちこちからもそんな話し声が聞こえて来た。1年生が賞とることもあるかもね、なんて。

さて、いよいよ2年生。
娘ちゃんのクラスはトップバッターだ。
壇上に全員が整列するまで、クラスの代表がマイクでクラス紹介をするのだけれど、これがコントあり、寸劇ありで、面白い。
ギャグがちょっとコケて、会場がドッとわいたところで、準備オッケー。

彼女たちが最初の一小節を歌い出した瞬間、会場の空気が変化した。
客席の全員が居住まいを正した、という雰囲気がさざなみのように伝わって来た。
1年生も素晴らしかったのだけど、2年生のそれは次元が違っていた。
なんというか、歌が、伝わってくるんだよね。そうか〜こんなに一年間でお姉さんになるんだね、と思ったらちょっとこみ上げるものがあった。

2年生の合唱は本当にどのクラスも素晴らしくて、合間合間で一生懸命練習したであろうこと、試行錯誤した中には、もめたりしたこともあったんだろうこと、最後だから精一杯やろうという思いなどがひしひしと伝わって来て、胸熱だった。

娘ちゃんのクラスは高校の部金賞をいただいた。
最優秀賞は同じ2年の別のクラスだったけれど、本当に僅差だったと思う。
ひとつ、素人ながら気がついたのは、指揮の子がとても上手だったな、ということ。後ろ姿からでも、クラスひとりひとりのことを良く見ていて、つい歌いたくなっちゃうような指揮をしていた。

合唱、というものをこんなに真剣に五感で聴いたことがなかったので、とても良い時間を過ごすことができた。

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思春期を勇気づける

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午後、「子どもの協力をかちとる」の輪読会へ。

吉祥寺くすのきの会でも少しずつ進めているけれども、銀杏の会ではだいぶ進んでいて、今日はちょうどティーンエイジャーのところに入っていた。

子どもと言うのももうふさわしくなく、かといって大人とも言えない思春期の子どもとの関係はどこの親も頭を悩ませるところである。
アドラー心理学では「育児は15歳まで」と言われている。
その基準に照らし合わせると、我が家の子どもたちはもう「育児」をする年齢はとうに過ぎていて、もう十分に他者と協力的な関係を築き、自分の人生を自分で切り開く力を持っている(はず)。

もう、子ども扱いされることも、親の意見に従うことも、なんでも手を貸すことも、望んでいないことなのだ。

けれども、親は心配やら不安やらを使ってあれこれ介入をして、結局のところ、子どもから自発性や自信を奪い取ってしまう。
大変に耳の痛い話である。

 

親が彼らに対する不信感を信頼に変えること。
あれこれ言わなくても、彼らにはもう全て自分自身でできる力があること。
問題が起こった時は、争ったりせず、解決に向けてお互いで協力するために話し合いをすること。

どれもこれも、パセージで少しずつ、練習し積み重ねたことが、大人へ向かおうとする思春期の子どもたちへの援助に繋がっていくのだとつくづく思った。

今日のメンバーは全員すでに「育児は終了」の年齢の子どもを持っている人ばかりで、「もっと小さい頃にアドラー育児を知って入ればねぇ・・・」としみじみとため息をついてしまったのであった。

いやいや。遅いことはない。今日からまた歩み出せばよい。
アドラー先生だって、「性格は死ぬ1~2日前でも変えられる。決心さえすれば。」とおっしゃっているではないか。
これからの子どもたちとの関係をより協力的なものへとするべく、前進あるのみ、である。

 

【今日の論文】

(再読)
「乳幼児版養育スキル尺度の作成〜乳幼児版ペアレントトレーニングに向けて 1〜」
立元・武井・上富(2017)

センター1日目

冷え込みの厳しい1日となった。

今年は娘ちゃんも、センター同日模試とやらを受けるので、受験生2人のような我が家である。

初受験生のいた昨年は、やはり気分が落ち着かず、特にやることはないのに家にこもっていたりしたが、私がいても良いことはなさそうなので今年はあまり気にしないようにしている。(いや、気にはなるけど)

普通に、普通に。通常モードを保つ。

それが私の協力。

デモジブンノペースハクルッテルー

夢のあと

バレエの発表会のあとは、まさに一夜の夢が覚めた、ような面持ちになる。
昨日まで、身につけて練習していた衣装が手元を離れると、どっと高揚していた何かが沈静化していく。

 

寂しいなあ。

 

また、あの高揚感を味わいたくて発表会というのはやめられなくなるのかもしれない。

娘ちゃんももう次の発表会があるとしても、ジュニア、としての参加ではなくなるのだよね。もはや親の出番はなく・・・。

でも、とてもたくさんのお客様にお運びいただいて、娘ちゃんの発表会の中では最大規模のものになった。本当に親として良い思いをさせてもらったと思う。
娘ちゃんにお礼を言わなくちゃね。

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今日はお天気もぐずついていたので、母ボランティアの残務をぼちぼちとやってゆっくり過ごした。

明日から、また平常運転。

 

 

ヨイブタイダッター