どっぷり読書報告

例の『濃い会』、 くりんちゃん(勝手に命名)からの課題図書である小野不由美の『屍鬼』。これがなんと、しっかりと分厚いのが5冊もある長編である。51DCRF5BJNL._SX330_BO1,204,203,200_

貸していただいた瞬間、嫌な予感がする。これは1週間廃人コースではあるまいか。

読み出したら止められない性分なため、どうしても動かなければならない事柄のほかを一切かなぐり捨てて読書に没頭してしまう。面白い話であればあるほどそうだ。
だいたい、くりんちゃんが貸してくれたものが面白くないわけがない。

恐る恐る1巻目のページをめくる。
山火事のシーンから始まる。じわじわと不安感を掻き立てて、さあ次は!・・・と思ったら、山間の小さな集落の、日常と住んでいる人の暮らしを、丁寧に詳細に形づくっていく。いつの間にか私の頭の中に、集落の地形地図がくっきりと描かれていく。第1巻は、その世界観をしっかりと読者の頭の中に作り上げることに終始していると言っていいかもしれない。なので、比較的1冊目はボルテージが低い。

ところが、である。

このあと、第2巻の終わる頃から加速度をつけて物語は一気にラストまで駆け抜ける。ああ、日々やらなければならないことがある大人にとって、これを途中で閉じてまた後から読もう、なんて言うのはただの苦行である。

なので、この5巻を読むことは本当に辛かった!(どうしても途中でやめなくてないけなかったから)

 

世の中には、正に見えるものと悪に見えるものが存在していて、それを巡って人は常になにかしらの対立を起こしているように思う。
けれど、どちらが正であって悪であるかなんていうのは、見ている角度の違いであって、そしてとても流動的だ。
その中で、私たちのできることはいったいどんなことなのだろう?

小野不由美という作家はとことんそれを突きつけてきている、と私は思う。

救いようのない話のようであっても、微かに希望の種が残る感じがするのは、きっと著者自身が人間という生き物に希望を持っているからなんだ。

 

宮部みゆきの『火車』も人物描写と人間心理の描写が緻密でとても面白かったが、正直、『屍鬼』を読んだ後には、ちょっとどんな話だったか記憶が飛んでしまった。

どっぷり小説の世界に入り込むと、しばらくその世界観の中の住人になる。それを私は「廃人コース」と呼んでいるのだけど、まさにこの『屍鬼』はそういうお話だった。

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「本」DIVE!!(上・下) 森 絵都

ときどき、我が家の子どもたちに「これを読んで」と課題図書を渡される。

娘からの夏の課題図書。

心に残る本、というのは、初めの一段落を読んでありありとその情景が描けるものであることが多い。
もっと言えば、3行くらいでおおよその判断がつく。

この、『DIVE!!』はそんな本のひとつである。
Teen向けだと思って舐めてはいけない。

 

 

もうね。

猛烈に後悔しますよね。自分の若かりし時代を。

私はこんなに、何もかもかなぐり捨てて、夢中に、ガムシャラになったことはあるのか。
とんでもなく、無意味な時間を大量に消費してここまで来てしまったのではないのか。

もう一度、あの頃に戻ったなら。

 

いや、やり直そうと戻ったからといって、私は無限に続くように思えるあの時間を、体の内に収まりきらない熱量をどこに向けたら良いのかもわからないまま、きっとまたなんとなく過ごしてしまうのだろうと思う。
自分には決して歩めないであろう生き方がそこにあるから、激しく後悔し、そしてひどく憧れるのだ。

登場するそれぞれの人物が、生き生きと自分を生きている。きっと上下巻のどこかに自分に似た誰かを見つけることができるのではないだろうか。

そんな中でも、限られた一握りの生き方をしている若きダイバー3人を中心にして、それぞれの成長を描く。

田舎の子どもだった私は、その道のエリートとして生を受けた要一のような人は見たことがなかったし、知季のようにまっすぐで都会的なお行儀の良さも持ち合わせていなかった。集落中が顔見知りのような津軽の村で、ここから学校に通い、ここから仕事に行き、多分ここで家族を持ち生きていくのだ、と決心してしまっている飛沫に感情移入してしまう。そして、何より、自分の「枠」はこんなものなのだ、と枠から外へ出ることも想像すらしなかった、飛沫の彼女・恭子の心の動きが手に取るようにわかる。

都会から遠く離れたところで生じる格差、みたいなものにも薄っすらと胸の疼きを感じつつ、都会の人が憧れる「田舎暮らし」は、そんなにいいものでもないんだよ、と独りごちてみたりする。

横にそれた。

とにかく、ダイバー達の鮮やかな成長に胸を熱くしつつ、そんな悔しさのような、悲しみのような、後悔のような、説明し難い「やっちまった」感を引きずって物語の終盤まで来てしまった中年のオバちゃんは、知季のこの言葉にごっそりと救われてしまった。

 

『あたりまえだよ。今のおれは・・・・・・上手くいえないけど、今までのぜんぶなんだから』

 

・・・そうだ。
今の私は、今までのぜんぶでここにいるんだ。

なら、ここから、また始めればいいじゃないか。

歳が幾つだとか
今更何になるのかとか
才能がうんたらとか

誰が何を言おうとも。

後悔してなんとかしたいのなら、また、ここから始めればいい。

そんな勇気が凛々と湧いてくる、至極のスポーツ物語である。

【本】「書評集」小泉今日子

「アウトプットしないと。下手とか上手いとか考えずにとにかく伝えることが、学びになる」とは師の言葉。

 

社会人大学生になってから読んでいる本の分野や数は格段に増えたものの、それがどんな風に良かったかと聞かれるとちっとも記憶に残っていない。確かに、読みっぱなしは良くないのかもしれない・・・。

そんなわけで、恥ずかしながら、これからは読んだ本を自分なりに総括して記録してみようと思う。

最近は、ノンフィクションものや、理論や学説の書かれたちょっと堅い本ばかり読んでいたので、久しぶりに普通の読書もしたいと思ったけれど、これは面白いだろう、と迷わず手にとるような選書の勘がすっかりなくなってしまっていてしばし呆然。

困った時は、人に頼ろう。

手にしたのは小泉今日子の『書評集』(中央公論社 2015)。

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キョンキョン派か、明菜派か、同世代の人なら一度は話題にしたことがあると思う。
グループアイドルばかりの今時の子にはわからない感覚かもしれないけれど、キョンキョンも、明菜ちゃんもそのくらい絶対的アイドルだった。(ちなみに私はキョンキョン派)

そんなアイドル小泉今日子がもう50歳だなんて!
けれど、キョンキョンは今でも変わらず自然体でキュートで魅力的である。「アンチエイジング?なにそれ?」って感じ。年齢を重ねたからこその美しさってこんな感じなのかな、と思う。

キョンキョンは、文章を書く人でもある。
アイドル全盛期だった頃、人に声をかけられないよう時間を過ごすために身につけたのが読書だったという。読書が、彼女の感性や人生観に大きな影響を与えたことは間違いない。

『書評集』は読売新聞日曜版の書評欄に掲載された97冊分のキョンキョンの書評を一冊にしたものだ。書評欄を担当する読書委員に抜擢されたのは、演出家で作家である、久世光彦氏が縁を繋いだものだそうだ。久世光彦氏と師弟関係!キョンキョン、おそるべし。

素直で凝った言葉は使わないのだけれど、センスの光る表現で数々の本を紹介されると「お、これも、読んでみようかな」と思う。おかげで私の読みたい本リストが著しく増えてしまった。この書評の所々にキョンキョンの素顔が見え隠れして、またそれがとても魅力的なのである。本を紹介していながら、これは一冊の「小泉今日子」という人の物語だ。

読書委員は10年間続いたそうだ。

ちょうど、今の私はキョンキョンが書評を書き始めた年頃。私も今から始めてみたら、10年後にはんな素敵な文章が書ける良い女になっているかな?と希望を持ったりしている。

「キョンキョン」なんて呼ぶのがすっかり失礼になってしまった、今の「小泉今日子」をもっと知りたい人はこちら『MEKURU  Vol7 みんなのキョンキョン、誰も知らない小泉今日子』がオススメ。

糸井重里氏の『ほぼ日刊イトイ新聞』の対談記事も面白い。